初めての就職先はブラックでいい
先日
京都の美山に行ってきました。日帰りの1人現実逃避ツアーです。笑
色々悩んでることもあったしね
(こう見えて)(笑)
自然の香りとマイナスイオンで癒されようと
園部という駅まで行き
かつての職場の先輩に迎えに来てもらってランチを食べ
ビールを飲み
昼寝をして
かえってきたのです。
笑
贅沢かて。(笑)
短大を卒業したあと初めて就職したのが
児童養護施設です。
20そこそこの私はいきなり
50人のおかーさん代行というか、
はじめての担当は乳児さん、その後は小学生6名(男子、女子それぞれ)を持ったりしました。
児童養護施設は
ドラマにもなったりして認知度は上がったように思いますが
戦後の孤児院(親が亡くなって代わりに育てる)ところから始まり
今の
児童養護施設のニーズは
さまざまな事情(ほんとにさまざま)
で家庭の代わりに一緒に暮らしながら育てる施設としてあります。
(私たちの施設は職員も基本全員住み込みでした)
50人の中規模施設でしたが
50人の子どもに
20人くらいのおとうさんお母さん(つまり職員)がいるようなイメージです。
(現場は当時9人くらいで回してたんかな?)
(ついでにお父さんは機能していなかった。ブラック企業だったからね。施設長の馬券とか代わりに買いに行かされてました。この時点でスーパーブラック。(笑)男子職員はほんとに辛かったやろうね。子供と一緒にいれなかったもん)
だから運動会はプログラム全部に誰かが出てると言った感じです。
50人全員の名前が今も言えるし
入所の経緯がひとりづつにあってそれが持ち出し不可のファイルになってるんですけど
それも頭に入ってて
仕事はそれはそれはほんとにやりがいのある
大好きな仕事でした。
職場の先輩も
変なん多かったけど(笑)
可愛がってくれる人が居たり
出る杭の私の盾になって守ってくれる人がいたり
心優しい男性職員もいましたよ。
けど
労働環境はブラック中のブラック。
やばかった。
それでみんなへとへとになるんですね。
この労働条件はおかしい!って声に出せないんですね。
出す人もたたかれ辞めていく。
長いものにさっさとまかれる人もやっぱり過酷なもんでやめていく。
入れ替わりの激しい職場でしたので子ども達も中学生、高校生くらいになってきたらもう大人の事を信頼しません。
(期待しても先生どうせやめるやろ)
みたいなもんですわ。
児童養護施設こそ
職員がながーーーーく
子供達の実家になるような職員が長く勤められる環境であることが子供の為になるんだけど
子どものための施設ではなく、
施設長のための施設でした。(家族経営ってそんなの多いよね。)
疲れ果てた私たちは2、3年、私は一時出産で抜けたもののそれでもたった5年(通算は4年)でやめました。
私に関しては最後組合を作ったからね。
施設側と団体交渉してましたからね。
毎日何か文章を作って
団体交渉を考えて
交渉中、施設長や部長の言葉に泣かされ
ほとほと疲れました。
そんな職場だったけど
子ども達はまさに自分の子と同様
ほんとに愛情を注いでいました!(これはきっぱり言える!)
当時のブラック企業で出会った友人や先輩とのグループラインがあるんだけど
そこで盛り上がったのが当時の子供達のこと!
当時私が担当してた5歳、6歳だった子は
今、26~35辺りです。
みなみと同じ歳!!!!
一緒に仕事出来るくらい大きくなったんだね~!!!
そんな話をしていたら
先輩がどんどんfacebookで見つけてきた子供たちの最近の写真をスクリーンショットしてきてくれました。
S。。。。。大きくなってる
男前になってるやん!!!
R、、、かわいいなー相変わらずカワイイ。うんうん
Mちゃん全然変わってない。
Mちゃんに弟おったやんな?
S兄弟は何してるんやろ
結婚してる子もたくさんいて
全然変わらない子もいて
みんなほんとに大きくなってました。
里親さんに引き取ってもらったMちゃんも見つけて来てくれました。
どうやら双子を今育ててる最中らしい。
内容は書きませんが
スマホで彼女らの成長を見られて泣きました。
グループラインでぎゃーぎゃー言いながら
みんなで泣きましたよ。
facebookってすごいね。
これがなかったら見れないもん。(笑)
うちら
そりゃ2年から5年くらいで(かよちゃんは6年かな??)辞めてしまったけど
ほんとに君らの事は大好きやったし自分の子の様に
なんなら
自分の子にはしないようなことまで
してたんですよ。(笑)
(たとえばハンカチのアイロンがけ。施設の子やからハンカチしわくちゃって言われたくなかった。
給食エプロンもるなにはほとんどアイロンしてないケドいつもどのクラスの子のもアイロンしてた。(笑)アイロン命でした)
毎週末、上靴を持って帰ってくるんだけど
汚れた上靴をもたすの可哀想やから毎週毎週10足以上洗った。(笑)
(今、テイタの上靴、洗い忘れる週とかあるしね)
いや、ほんとに全然彼女らに届かなくていいんだけど
たった2年や3年や4年や6年しか一緒に居られなかったけど
ほんとに愛してたし
実際今日、どんな生活してるかはわからんけど
それでもFBでは笑顔でプリクラしてたり兄弟仲良く写真撮ってくれてたり
もう
ほんとにしがない元職員はそれだけで幸せいっぱいでした。
そんなこんなを言い合えるきっかけの美山旅行
私の心も少しはキレイになったんではないでしょうか。(笑)
初めての就職先なんてね。
ブラックがいいですよ。(笑)
自殺しない程度のブラック。
あのブラックを経験したから
その次の転職先なんて
どんどん環境よくなったもんね。(笑)良く思える。(笑)
あんなブラックな時代でも
運動会にはエイコもボランティアで参加してくれたり
素晴らしい人たちに出会えて
ほんとに
色んな思い出があって
子供達が大きくなってくれてて
今日は最高に幸せな日でした。(笑)
(あ、予約投稿だからね。(笑))
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
安心してください。みんなのこと、もうストーカーみたいに見に行ったりしませんよ。
皆がほんとに可愛く大人になってかっこよいお兄ちゃんになってくれてて
それがそれだけがほんとに嬉しかったんです。(笑)
親とは仲良くせんでよろしい。大丈夫。
あなたが幸せになればいいのです。
元気に生きててくれてありがとう。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
京都の美山に行ってきました。日帰りの1人現実逃避ツアーです。笑
色々悩んでることもあったしね
(こう見えて)(笑)
自然の香りとマイナスイオンで癒されようと
園部という駅まで行き
かつての職場の先輩に迎えに来てもらってランチを食べ
ビールを飲み
昼寝をして
かえってきたのです。
笑
贅沢かて。(笑)
短大を卒業したあと初めて就職したのが
児童養護施設です。
20そこそこの私はいきなり
50人のおかーさん代行というか、
はじめての担当は乳児さん、その後は小学生6名(男子、女子それぞれ)を持ったりしました。
児童養護施設は
ドラマにもなったりして認知度は上がったように思いますが
戦後の孤児院(親が亡くなって代わりに育てる)ところから始まり
今の
児童養護施設のニーズは
さまざまな事情(ほんとにさまざま)
で家庭の代わりに一緒に暮らしながら育てる施設としてあります。
(私たちの施設は職員も基本全員住み込みでした)
50人の中規模施設でしたが
50人の子どもに
20人くらいのおとうさんお母さん(つまり職員)がいるようなイメージです。
(現場は当時9人くらいで回してたんかな?)
(ついでにお父さんは機能していなかった。ブラック企業だったからね。施設長の馬券とか代わりに買いに行かされてました。この時点でスーパーブラック。(笑)男子職員はほんとに辛かったやろうね。子供と一緒にいれなかったもん)
だから運動会はプログラム全部に誰かが出てると言った感じです。
50人全員の名前が今も言えるし
入所の経緯がひとりづつにあってそれが持ち出し不可のファイルになってるんですけど
それも頭に入ってて
仕事はそれはそれはほんとにやりがいのある
大好きな仕事でした。
職場の先輩も
変なん多かったけど(笑)
可愛がってくれる人が居たり
出る杭の私の盾になって守ってくれる人がいたり
心優しい男性職員もいましたよ。
けど
労働環境はブラック中のブラック。
やばかった。
それでみんなへとへとになるんですね。
この労働条件はおかしい!って声に出せないんですね。
出す人もたたかれ辞めていく。
長いものにさっさとまかれる人もやっぱり過酷なもんでやめていく。
入れ替わりの激しい職場でしたので子ども達も中学生、高校生くらいになってきたらもう大人の事を信頼しません。
(期待しても先生どうせやめるやろ)
みたいなもんですわ。
児童養護施設こそ
職員がながーーーーく
子供達の実家になるような職員が長く勤められる環境であることが子供の為になるんだけど
子どものための施設ではなく、
施設長のための施設でした。(家族経営ってそんなの多いよね。)
疲れ果てた私たちは2、3年、私は一時出産で抜けたもののそれでもたった5年(通算は4年)でやめました。
私に関しては最後組合を作ったからね。
施設側と団体交渉してましたからね。
毎日何か文章を作って
団体交渉を考えて
交渉中、施設長や部長の言葉に泣かされ
ほとほと疲れました。
そんな職場だったけど
子ども達はまさに自分の子と同様
ほんとに愛情を注いでいました!(これはきっぱり言える!)
当時のブラック企業で出会った友人や先輩とのグループラインがあるんだけど
そこで盛り上がったのが当時の子供達のこと!
当時私が担当してた5歳、6歳だった子は
今、26~35辺りです。
みなみと同じ歳!!!!
一緒に仕事出来るくらい大きくなったんだね~!!!
そんな話をしていたら
先輩がどんどんfacebookで見つけてきた子供たちの最近の写真をスクリーンショットしてきてくれました。
S。。。。。大きくなってる
男前になってるやん!!!
R、、、かわいいなー相変わらずカワイイ。うんうん
Mちゃん全然変わってない。
Mちゃんに弟おったやんな?
S兄弟は何してるんやろ
結婚してる子もたくさんいて
全然変わらない子もいて
みんなほんとに大きくなってました。
里親さんに引き取ってもらったMちゃんも見つけて来てくれました。
どうやら双子を今育ててる最中らしい。
内容は書きませんが
スマホで彼女らの成長を見られて泣きました。
グループラインでぎゃーぎゃー言いながら
みんなで泣きましたよ。
facebookってすごいね。
これがなかったら見れないもん。(笑)
うちら
そりゃ2年から5年くらいで(かよちゃんは6年かな??)辞めてしまったけど
ほんとに君らの事は大好きやったし自分の子の様に
なんなら
自分の子にはしないようなことまで
してたんですよ。(笑)
(たとえばハンカチのアイロンがけ。施設の子やからハンカチしわくちゃって言われたくなかった。
給食エプロンもるなにはほとんどアイロンしてないケドいつもどのクラスの子のもアイロンしてた。(笑)アイロン命でした)
毎週末、上靴を持って帰ってくるんだけど
汚れた上靴をもたすの可哀想やから毎週毎週10足以上洗った。(笑)
(今、テイタの上靴、洗い忘れる週とかあるしね)
いや、ほんとに全然彼女らに届かなくていいんだけど
たった2年や3年や4年や6年しか一緒に居られなかったけど
ほんとに愛してたし
実際今日、どんな生活してるかはわからんけど
それでもFBでは笑顔でプリクラしてたり兄弟仲良く写真撮ってくれてたり
もう
ほんとにしがない元職員はそれだけで幸せいっぱいでした。
そんなこんなを言い合えるきっかけの美山旅行
私の心も少しはキレイになったんではないでしょうか。(笑)
初めての就職先なんてね。
ブラックがいいですよ。(笑)
自殺しない程度のブラック。
あのブラックを経験したから
その次の転職先なんて
どんどん環境よくなったもんね。(笑)良く思える。(笑)
あんなブラックな時代でも
運動会にはエイコもボランティアで参加してくれたり
素晴らしい人たちに出会えて
ほんとに
色んな思い出があって
子供達が大きくなってくれてて
今日は最高に幸せな日でした。(笑)
(あ、予約投稿だからね。(笑))
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
安心してください。みんなのこと、もうストーカーみたいに見に行ったりしませんよ。
皆がほんとに可愛く大人になってかっこよいお兄ちゃんになってくれてて
それがそれだけがほんとに嬉しかったんです。(笑)
親とは仲良くせんでよろしい。大丈夫。
あなたが幸せになればいいのです。
元気に生きててくれてありがとう。
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